ABOUT
私たち株式会社システムコミュニケーションズは、
セールスプロモーション業界で90年の歴史を持ちます。
クライアントがもつブランドの販売課題解決の膨大な蓄積。
生活者に感動を深く喚起し、ブランドを手に取っていただくために
必要なものは何か。
それを支え、可能にしてきたのは、
生活者の生活価値や生活動線に基づいた
プランニング&クリエーティブと
各クライアント専任で、スピード感を重視したサービス体制です。
リアルな顧客接点もヴァーチャルな接点も
「感動」を生むプロモーションで
クライアントと生活者の絆を創りあげています。
PROFILE
会社概要
社名 株式会社システムコミュニケーションズ
設立 1964年1月(創業1933年1月)
資本金 7,000万円
従業員数 65名
代表取締役社長 清水宣夫
事業所 東京都中央区築地5-3-3 築地浜離宮ビル9F
関連会社
株式会社システムコミュニケーションプランニング(資本金:3億900万円)
株式会社千代田資材(資本金:1,000万円)
ブランドと生活者を「感動」でつなぐ
HISTORY
沿革 | 出来事 | |
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清水公平が円本の草分けであった改造社の宣伝部長としての経験を活かし、神田小川町に清水宣伝社を創業。 店頭広告、屋外広告、交通広告の代理業務を開始
1933年ころ |
円本(えんぽん)とは、1926年(大正15年)末から改造社が刊行を始めた 『現代日本文学全集』を口火に、各出版社から続々と出版された、 一冊一円の全集類の俗称、総称 |
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事業範囲が飛躍的に拡大
1940年ころ |
1936年 2.26事件 1941年 日本軍、ハワイ真珠湾を攻撃(太平洋戦争勃発) |
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経営を株式会社組織に改組 |
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社屋を神田東松下町43に移転 |
1954年 自衛隊発足 |
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専務として清水公明入社 |
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企画部長として清水宣夫入社 |
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企画部長、全米POP広告協会(POPAI)総会出席のため渡米、同時に世界各国の広告事情を視察 |
1960年 カラーテレビの本放送開始 |
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アメリカDM広告協会(DMAA)の会員となる |
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アメリカパッケイジング協会(PI)会員となる |
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社員海外研修制度の確立
1963年ころ |
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社名を株式会社POPセンター清水と改称 |
1964年 東京オリンピック開催 |
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社屋を神田多町に移転 |
1966年 ビートルズ初来日 |
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POP広告協会・日本支部(POPAI-JAPAN)の結成に参与し、協会結成と同時に理事長会社となる
1970年ころ |
1970年 歩行者天国スタート |
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資本金を4,500万円に増資 |
1971年 マクドナルド銀座1号店オープン 1973年 第一次オイルショック |
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トータルなセールスプロモーション業務への本格的な取り組みを開始 |
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セールスプロモーションの専門会社として社名を、株式会社システムコミュニケーションズと改称、清水公明が代表取締役社長となる |
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事業拡張に伴い、社屋を築地浜離宮ビルへ移転 築地浜離宮ビル 風景 |
1981年 スペースシャトル初飛行 |
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事業拡張に伴い、銀座別館設置 |
1989年 消費税3% |
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量販店のマーチャンダイジングを支援するVPS~ビジュアル・プレゼンテーション・システム~開発 |
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マッキントッシュⅡfx を初めて導入。クリエイティブワークのデジタル化が一気に加速 |
1991年 新東京都庁舎落成 |
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データ入稿(DTP)開始 |
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独自のインストア・マーケティング理論「売場力」を商標として登録 |
1997年 消費税5% |
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日本POP広告協会副理事長会社となる |
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清水宣夫 代表取締役社長となる |
2006年 ブログ普及 |
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株式会社システムコミュニケーションプランニング(資本金 3億900万円)設立 |
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2,000台規模のデジタルサイネージを本格導入 |
2011年 東日本大震災 |
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プロジェクション・マッピングをセールス・プロモーションの世界にいち早く導入 都内某所でのプロジェクションマッピングによる プロモーション告知 |
2014年 消費税8% |
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清水創平 代表取締役社長となる |
2015年 東京五輪エンブレム問題 2019年 消費税10% |
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清水宣夫 代表取締役社長となる |